リーグ戦年度別記録


1963年(昭和38年)

関西リーグの本拠地である西宮競技場が名神高速道の建設工事の為に使用不能となり、大学グラウンドでのリーグ戦開催となった。
明治の監督に野崎和夫氏が就任。

《 関東 》
日 大 明 治 立 教 慶 応 法 政 早稲田
1 日 大 44 8 50 8 64 16 48 0 90 0 5 0
2 明 治 8 44 36 0 20 8 54 8 100 0 4 1
3 立 教 8 50 0 36 12 30 20 6 78 0 2 3
3 慶 応 16 64 8 20 30 12 16 34 54 6 2 3
3 法 政 0 48 8 54 6 20 34 16 42 14 2 3
6 早稲田 0 90 0 100 0 78 6 54 14 42 0 5

入替戦
防 衛68− 6早稲田(早稲田が2部降格)

《 関西 》
関 学 甲 南 同志社 京 大 関 大 立命館
1 関 学 56 0 36 12 56 0 54 0 128 0 5 0
2 甲 南 0 56 28 12 28 6 32 12 102 0 4 1
3 同志社 12 36 12 28 20 0 6 6 104 0 2 2 1
4 京 大 0 56 6 28 0 20 20 14 64 0 2 3
5 関 大 0 54 12 32 6 6 14 20 100 0 1 3 1
6 立命館 0 128 0 102 0 104 0 64 0 100 0 5


1964年(昭和39年)

日本フットボール30周年を記念して 戦後初の米国遠征が実現、日大・関学各12名と慶応・法政各1名からなる全日本26名が、12月9日にハワイに向けて出発した。
全米100位前後のハワイ大に0対40と完敗。 ハワイ大OBのフォーティナイナーズ・クラブには28対10と快勝した。

《 関東 》
日 大 明 治 慶 応 法 政 防 衛 立 教
1 日 大 42 22 54 6 52 0 66 0 72 0 5 0
2 明 治 22 42 28 6 12 8 32 20 44 14 4 1
3 慶 応 6 54 6 28 8 6 14 8 22 12 3 2
4 法 政 0 52 8 12 6 8 40 6 36 12 2 3
5 防 衛 0 66 20 32 8 14 6 40 22 16 1 4
6 立 教 0 72 14 44 12 22 12 36 16 22 0 5

入替戦
立 教  −  早稲田(立教が1部残留)

《 関西 》
関 学 関 大 甲 南 京 大 同志社 立命館
1 関 学 52 6 54 8 54 8 52 0 128 6 5 0
2 関 大 6 52 48 14 64 0 42 0 102 0 4 1
3 甲 南 8 54 14 48 14 8 40 12 50 0 3 2
4 京 大 8 54 0 64 8 14 8 8 28 0 1 3 1
4 同志社 0 52 0 42 12 40 8 8 44 0 1 3 1
6 立命館 6 128 0 102 0 50 0 28 0 44 0 5


1965年(昭和40年)

立教は前年度最下位からの優勝という快挙を記録した。
【リーグ戦初参加】[関東]専 修

《 関東 》
立 教 日 大 慶 応 明 治 法 政 防 衛
1 立 教 20 18 22 22 34 16 52 20 48 8 4 0 1
2 日 大 18 20 52 24 14 12 102 0 68 22 4 1
3 慶 応 22 22 24 52 20 20 44 0 38 12 2 1 2
4 明 治 16 34 12 14 20 20 34 22 24 0 2 2 1
5 法 政 20 52 0 102 0 44 22 34 30 24 1 4
6 防 衛 8 48 22 68 12 38 0 24 24 30 0 5

入替戦
東 大28−14防 衛(防衛が2部降格)

《 関西 》
関 学 関 大 甲 南 京 大 同志社 立命館
1 関 学 12 0 38 8 76 0 104 0 116 0 5 0
2 関 大 0 12 16 16 38 14 54 8 86 0 3 1 1
2 甲 南 8 38 16 16 52 22 20 6 44 14 3 1 1
4 京 大 0 76 14 38 22 52 30 6 22 8 2 3
5 同志社 0 104 8 54 6 20 6 30 66 0 1 4
6 立命館 0 116 0 86 14 44 8 22 0 66 0 5


前のページへ   次のページへ

更新日: 97/ 8/ 4

アメフットのメイン・ページへ