リーグ戦年度別記録


1954年(昭和29年)

日本のフットボール20周年を記念して、9月16日に「第1回西宮ボウル」がナイター開催された。
学生・社会人から選抜した全関東対全関西が対決し、全関西が27対6と快勝。

20周年記念試合としては この他に、5月28日に「関東六大学選抜OB対関西五大学選抜OB」「関東学生選抜対関西学生選抜」の2試合が東京後楽園球場でナイター開催、 11月25日に「全日本(立教を除く関東選抜)対極東米空軍」が明治神宮球技場で開催(13対32で敗戦)された。

《 関東 》
立 教 慶 応 日 大 早稲田 法 政 明 治
1 立 教 33 0 45 7 75 0 27 0 39 14 5 0
2 慶 応 0 33 12 6 13 6 0 0 19 12 3 1 1
3 日 大 7 45 6 12 27 7 19 12 28 14 3 2
4 早稲田 0 75 6 13 7 27 14 12 7 6 2 3
5 法 政 0 27 0 0 12 19 12 14 7 0 1 3 1
6 明 治 14 39 12 19 14 28 6 7 0 7 0 5

《 関西 》
関 学 関 大 同志社 立命館 京 大
1 関 学 48 13 34 6 81 0 1 0 4 0
2 関 大 13 48 36 14 84 0 76 0 3 1
3 同志社 6 34 14 36 29 6 2 2
4 立命館 0 81 0 84 13 8 1 3
5 京 大 0 1 0 76 6 29 8 13 0 4


1955年(昭和30年)

関西で春季トーナメント「西日本選手権大会」が開始された。
参加チームは、部員不足の京大を除く4大学、関学OBによる全神戸、大阪警視庁を中心とした大阪クラブ、関大OBを加えた全奈良の7チーム。 決勝は関学が47対7で関大に快勝した。

戦後、慶応のノートルダム・ボックス、関学のシングル・ウィング、立教の近大T と攻撃体型は変遷を続けて来たが、この年 日大のアンバランスTが新たな時代を築いた。

《 関東 》
日 大 立 教 早稲田 慶 応 明 治 法 政
1 日 大 19 7 33 12 6 6 39 13 38 6 4 0 1
2 立 教 7 19 38 0 40 12 31 19 12 0 4 1
3 早稲田 12 33 0 38 12 6 32 20 21 0 3 2
4 慶 応 6 6 12 40 6 12 31 13 20 0 2 2 1
5 明 治 13 39 19 31 20 32 13 31 20 7 1 4
6 法 政 6 38 0 12 0 21 0 20 7 20 0 5

《 関西 》
関 学 関 大 同志社 立命館 京 大
1 関 学 74 7 72 0 90 0 82 0 4 0
2 関 大 7 74 34 6 47 0 33 6 3 1
3 同志社 0 72 6 34 35 12 13 0 2 2
4 立命館 0 90 0 47 12 35 26 6 1 3
5 京 大 0 82 6 33 0 13 6 26 0 4


1956年(昭和31年)

関学では中等部創立メンバーが最終学年となり、ついに負け知らずのまま卒業して行った。
【リーグ戦初参加】[関東]学習院
[関西]甲 南

《 関東 》
日 大 立 教 慶 応 明 治 法 政 早稲田 学習院
1 日 大 45 0 13 0 23 0 31 0 28 7 109 0 6 0
2 立 教 0 45 26 13 19 0 46 7 14 0 108 0 5 1
3 慶 応 0 13 13 26 40 7 11 12 39 14 140 6 3 3
4 明 治 0 23 0 19 7 40 28 13 13 0 63 0 3 3
5 法 政 0 31 7 46 12 11 13 28 14 14 54 0 2 3 1
6 早稲田 7 28 0 14 14 39 0 13 14 14 95 0 1 4 1
7 学習院 0 109 0 108 6 140 0 63 0 54 0 95 0 6

《 関西 》
関 学 関 大 同志社 京 大 立命館 甲 南
1 関 学 62 0 77 0 72 0 76 0 96 0 5 0
2 関 大 0 62 19 13 33 0 25 6 53 6 4 1
3 同志社 0 77 13 19 33 6 32 0 72 0 3 2
4 京 大 0 72 0 33 6 33 20 7 13 12 2 3
5 立命館 0 76 6 25 0 32 7 20 26 0 1 4
6 甲 南 0 96 6 53 0 72 12 13 0 26 0 5


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更新日: 97/ 7/16

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